2016年7月7日木曜日

当事者会で大切なこと(の一つ)

最近ほめてくださった方が居て、嬉しかったので忘れないように書いておきたい。
当事者会に初めて参加された方の中で、
「いまこの人には自分が必要だ」もしくは「いま自分の番だ」
※(この表現ではまだ言い表せていない感覚がある)と感じる方との時間はいつも緊張する。

何を言うべきか、何を言ってはいけないのか。
失敗したらそれっきり縁が切れる。
そんな方と話した時は会の後帰宅しても、どう話すべきで、何が言えなかったのか。
真剣に振り返る。
どうしたって至らないところばかりなのだが、その方の人生に入ろうとしたなら、
自分が介入した事実を受け止める(正しく経験する)過程がどうしても必要だ。

たまたま帰宅する時に同伴した方が居て、上の行動の一部始終を、
その方そっちのけで始めてしまったのだが、
それを見ていて、参加者との関わり方が良かった。とほめてくださった。
褒めていただいた後に、自分が褒めて欲しかったのだと気が付く。
褒めていただくと同時に、新しい自分との出会いもいただける。
もしかしたら、褒める、とは元来そういう行為なのかもしれない。
時折そんな嬉しいことがある。

※まず、その方のこれまでの人生と、いまの暮らしと、これからの向かう方向とをイメージできるようになって、自分はどういった位置付け、役でいま接点を持っているのかを考えてそれに相応しい対応をする。

2016年6月23日木曜日

ごあいさつ。

こんにちは、こばんにゃ。です。

サピアには、設立当初より世話人として、
また、2期~4期に渡って代表世話人として、
およそ2年間、開催する側として参加させていただきました。

しかしながら、自分自身の仕事、生活環境などの変化や、
体調が不安定でサピアへの参加がままならない時期が続くなど、
開催する側として、サピアへの参加が難しくなってしまいました。

誠に勝手ではありますが、今期(6/30)をもちまして
サピアの世話人ならびにスタッフを退任させていただくこととなりました。


「世話される方の世話人」と、
スタッフ紹介のページに書いたり、サピアでも散々口にしていましたが、
ほんとうに、他の世話人、スタッフ、参加者の皆さんに助けていただいてばかりで、
代表世話人というよりは、当事者代表みたいな感覚で、たくさん甘えさせてもらいました。

サピアを通じて、言葉にできないたくさんのものを頂きましたし、
わたしも他の参加者のどなたかに、何かお渡しできるものが
わずかながらでもあったのではないかなと思っています。

サピアを「開催する立場」としての参加は、6月30日をもって終了しますが、
引き続き、いち参加者として、サピアには参加していきたいと思っています。


新しいスタッフも増え、これからもサピアは成長していきます。
ご隠居モードで、サピアがどう色づいていくのか、応援したいと思います。


2年間という長い期間、大変お世話になりました。
これからもサピアをどうぞよろしくお願いいたします!



2014年12月29日月曜日

グループホーム勉強会 発表を終えて

今回は参加者という立場ではなく、発表者という視点で、1220日のグループホーム勉強会について振り返りたいと思います。

当日の会場には20人ほど集まり、大勢の前で発表しようとすると緊張や不安に襲われやすい自分には難イベントだと感じていました。ただ、他のスタッフの力と少し漢方の力を借り、無事最後まで発表をやり終えることが出来ました。会場の予約、告知、打ち合わせ、会場準備、当日の進行、励まし(安心感・のど飴の提供)、アンケートの補足説明などスタッフの協力を得て、一人ではできない充実した内容の勉強会になりました。
 
 以下、記録の意味で、今回の発表を通して自分がしたことをまとめました。

【事前準備】
①テーマ決め
②資料準備(主に国会図書館、インターネット)
③発表用資料(配布用含む)、おまけ資料の作成・・・何度も印刷して文字の見やすさ重視
④アンケート作成
⑤発表原稿作成・・・スライド1枚あたり発表時間1分目安で原稿作成
⑥メイン・おまけ資料、アンケートの印刷&質問カードの準備

【発表当日】
①発表
②発表音声の録音
③質問カードへの回答

【発表後】
①アンケート結果のデータ作成
②質問カードのデータ作成
など

なお、グループホーム勉強会で発表に用いた資料(の一部)を
当日参加できなかった方のために、後日サピアブログにアップ予定です!
もうしばらくおまちください(*^_^*)


2014年11月6日木曜日

信頼

先日お話を聞けた女性の当事者の話。
その方は印象として、「どこが障害なのか分からない」と思うくらいコミュニケーションを普通にこなされている。

しかし話しを聞くと学生時代は「自分はそのつもりがないのに相手を怒らせたり傷つける内容」を口にして友人が出来なかったそうだ。
なぜ変われたのか?をお聞きすると、信頼できる友人とスカイプで話しをする時、NGな発言をするとその場で即

  1. 何がいけないか
  2. (話相手から見て)どう思ったか

をフィードバックされるという日々を年単位で送ってきたそうだ。
決して耳に優しい言葉ではないだろうが、「なぜそこまでして『直そう』と思えたのか?」と聞くと、
「相手の方を失いたくなかった」と教えてくれた。

また、「それまで注意してくれた人の言葉では直せなかったのに、なぜその人から言われたら直せたのか?」と言うのもお聞きすると、「やっぱり信頼関係が大事だし、甘えがあるから家族以外から言われる経験が必要」とのことだった。

常日頃確信に近く思い、感じているのは、変わらなくても生きていけるし、変わっても望む生き方は出来ないかも知れない。

  • 当事者の方ひとりひとりにコミュニケーション力を身につけて欲しいなんて思わないし、
  • 定型の方に合わせて欲しいとも思う気持ちも軽くなった。

代わりに

  • その人が「人とどう関わりたいか?」
  • その人が「どう人と関わるのが最善か?」

に関心が向くようになって来た。自分なりに何か形が見えたとしても、特に相手に伝えたりはしないし、助言したいとも思わない。
相手の方が望むのなら喜んでするが、その人のモカシン靴を僕は履いたことがないし、僕のモカシン靴もまた人のとは違う。


Never criticize a man until you've walked a mile in his moccasins.
その人のモカシン靴を履いて1マイル歩いてみるまでは、批判をしてはいけない。

http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/one-day-proje-3.html

2014年11月2日日曜日

最近覚えた生活に便利なこと。

最近、通院中の病院のデイケアに通うようになり、
臨床心理士の先生と、ADHDの皆さんと、
ADHDの特性について、ディスカッションを行ったりしています。

そこで学んだり、気付きがあったり、
便利で生活に組み込みたいなと思ったことを、共有したいと思います。


■外部脳を利用する

「外部脳」とは、物理的に存在するものではありません。

物理的に存在するといえばするのですが、
それはメモとペンということになります。

何か作業中にハッと別のことが頭に浮かんでしまい、
そちらに気を取られて、本来の作業が進まなくなった時に、
いったんその思い浮かんだ別のことをメモして、
頭(内部の脳みそ)から追い出して、忘れてしまいます。

その時やらなければいけなかったことを終わらせてから、
再びメモを見て、さっき思いついたことに次に取り掛かるかどうかきめます。

わたし自身、まだうまく利用できてないですが、
これから取り入れていきたいとおもっています。

■気がそれることを利用して、嫌な作業を終わらせる

特性の一つとして、何かに気を取られて作業が進まないというのがありますが、
これを逆手にとった方法だね、と先生が仰られていたのが、
「好きな音楽を聴き(歌い)ながら、苦手な作業を進める」こと。

これはわたしも無意識のうちにやっていたことだったのですが、
ほかにもやってる方もいて、苦手なことが捗るようになるということで、
気がそれる特性をうまく利用した例なのでは?ということだったので、
実践したことがない人がいたら是非やってみてほしいです。

わたしは家事がとても苦手で、3分程度しか一つの家事に集中できません。
洗い物が山のようにあっても、3分したら挫折してしまうし、
掃除機も3分かけたら休憩したくなるし、
洗濯物も干すのが3分でダルくなってしまって続きません。

そこでわたしは、好きな音楽をヘッドフォンで爆音で聴きながら、
3分ごとに、洗い物→掃除機→洗濯干し→洗い物→(以下エンドレス)
という風に、ローテーションで回していくことを、以前より意識して実践しています。

ハタから見るとめちゃくちゃなんですが、
意外と短時間で家事を終わらせることができるようになってきつつあります。



みなさんそれぞれ、苦手なことも違えば、工夫の仕方も変わるとは思うのですが、
上記の方法が、誰かひとりのひとにでも役に立ったら嬉しいなと思います。


2014年10月17日金曜日

生まれ変わっても発達障害に生まれたい

「生まれ変わっても発達障害に生まれたい」
縁有ってお話を聞くことが出来たある発達障害当事者の言葉。

少なからず衝撃を受けた。その方にお会いするまで、障害、診断をネガティブに捉えていた自分がいたからだ。
同じ境遇で、発達障害当事者としての人生を前向きにポジティブに考えている方が居るという存在が何よりも勇気付けられる経験をした。

「障害」という名の通りいくらでもネガティブに捉えられるものであるが、当人の受け止め方、心の持ちようで、障害というものもむしろプラスになってしまう生き方を目の当たりにして、自分の考え方、物事の捉え方が1面的であることに気付かされた。

当事者として、障害枠で糊口を凌がせていただいている身として、また色々な方の支え、ご縁があって、当事者会を運営する立場に付かせて頂いて思うのは、
もうそろそろ個人としても、発達障害の診断を受けてよかった、発達障害に生まれてよかったと言う側に自分がなっているのではないかと考えざるを得ない。

発達障害という診断を通して、当事者の方と出会え、仕事でも多くの方の配慮を頂き、生き甲斐を、居場所を貰えている自分がいる。

障害や困りごとの度合い、深刻度は人それぞれで、ぼくの話など恵まれすぎて参考にならない部分は有るかも知れないが、発達障害の診断を受けたおかげで、サピアや参加いただく方と時間を共有できるのはありがたい話だと改めて感じます。

2014年10月14日火曜日

昨日の父の言動

父今日の一コマ
我が家の犬の散歩は、父が担当
犬の名前は、レンです。
昨日は、父が犬の散歩が楽しかったらしく、
「散歩の行き先が決まらなくてあっちへうろうろ、こっちへうろうろして最終的には畑に行ったんだよ。おもレンちゃんだろ?」と嬉しそうに話す父。
「おもレンちゃんてなんだよ?」と返す俺。
「おも(しろ)レンちゃんて事だよ」という父。
父よ。なんでも略すな。
それと略しずきて意味不明だろ。
と思わず突っ込まずにはいられませんでした。
このような両親の変わった言動を皆さんはどのように対処されていますか?
茶話会でご一緒したら是非教えて下さい。