2014年10月17日金曜日

生まれ変わっても発達障害に生まれたい

「生まれ変わっても発達障害に生まれたい」
縁有ってお話を聞くことが出来たある発達障害当事者の言葉。

少なからず衝撃を受けた。その方にお会いするまで、障害、診断をネガティブに捉えていた自分がいたからだ。
同じ境遇で、発達障害当事者としての人生を前向きにポジティブに考えている方が居るという存在が何よりも勇気付けられる経験をした。

「障害」という名の通りいくらでもネガティブに捉えられるものであるが、当人の受け止め方、心の持ちようで、障害というものもむしろプラスになってしまう生き方を目の当たりにして、自分の考え方、物事の捉え方が1面的であることに気付かされた。

当事者として、障害枠で糊口を凌がせていただいている身として、また色々な方の支え、ご縁があって、当事者会を運営する立場に付かせて頂いて思うのは、
もうそろそろ個人としても、発達障害の診断を受けてよかった、発達障害に生まれてよかったと言う側に自分がなっているのではないかと考えざるを得ない。

発達障害という診断を通して、当事者の方と出会え、仕事でも多くの方の配慮を頂き、生き甲斐を、居場所を貰えている自分がいる。

障害や困りごとの度合い、深刻度は人それぞれで、ぼくの話など恵まれすぎて参考にならない部分は有るかも知れないが、発達障害の診断を受けたおかげで、サピアや参加いただく方と時間を共有できるのはありがたい話だと改めて感じます。

2014年10月14日火曜日

昨日の父の言動

父今日の一コマ
我が家の犬の散歩は、父が担当
犬の名前は、レンです。
昨日は、父が犬の散歩が楽しかったらしく、
「散歩の行き先が決まらなくてあっちへうろうろ、こっちへうろうろして最終的には畑に行ったんだよ。おもレンちゃんだろ?」と嬉しそうに話す父。
「おもレンちゃんてなんだよ?」と返す俺。
「おも(しろ)レンちゃんて事だよ」という父。
父よ。なんでも略すな。
それと略しずきて意味不明だろ。
と思わず突っ込まずにはいられませんでした。
このような両親の変わった言動を皆さんはどのように対処されていますか?
茶話会でご一緒したら是非教えて下さい。

2014年10月12日日曜日

感情表現のうまい人とは?

当事者の集まりでタイトルの話になった。

■感情と当事者
実感として当事者で「感情の認知」を定型の方と同じレベルで遜色なく行える方の方が少ない。
その中でも

1.認知できない感情が身体症状などで表れて苦しむ
2.認知したがどう対応すればよいのか分からない
3.対応方法が野蛮(押し殺す、攻撃的に相手にぶつける)

と言った段階に分かれる。
さらにそれを
1.苦と思うか、思わないか。
2.相手や周囲のせいだと思うか自分の課題だと思うか
(その見解が正しい場合も行き過ぎな場合も含む)

でも分かれてくる。


■感情労働
金子みすずの詩・童謡集[こだまでしょうか]

のように、感情表現はを人対人で行うと表明した感情は程度の差はあれ相手に連鎖する。
そう言った作用がある以上、感情はそれ自体がコミュニケーションツールであり、生産される対象だ。

感情労働

の言葉通りそれ自体が対価の支払われる労働であり、無償で行われれば搾取とも表現できる。

彼らのような感情労働のプロは一義的に「感情表現のうまい人」だ。


■実感情と表明感情のマルチコントロール
彼らの特徴は
自分はネガティブな感情への連鎖はせず
相手にポジティブ感情への連鎖(転換)を提供し続ける。

彼らは、

1.自分の実感情
2.表明する感情

を別々に制御し、時に適切な量をリンクし成果を最大化する。


■ネガティブ感情を使いこなす
さらに様々な「カリスマ」と呼ばれる人物になると、怒哀、ネガティブで一般的にNGとされる感情表現すらも使いこなす。
例えば、彼らに怒られた受け手は、「自分に期待してくれているから怒ってくれた」と解釈する。
比喩的に言うならば、カリスマとは、「受け手の期待を超えて裏切る商品、感情労働を提供する人」とも言える。

「相手にこれをこう伝えたらこうなるだろう」という感覚と、それを行える演技力が高い。
さらに別の要素として上記の能力に加え、用途。
「その能力を何に使うか?」

1.利己的なものであるか
2.利他的なものであるか

によっても、「うまい」の深さに差が出る。


■感情の上書き
「自分を好きな人は、人を嫌いにならない。なぜなら嫌いな人を思う時間は快適ではない。快適に過ごせる時間をより多くすごす秘訣は嫌いにならないことだ」と言う言葉の通り
自分のネガティブな感情をポジティブに上書きをする能力に長けている人は、細かなことで落ち込まないし、理不尽にも強い。


■限度
「実感情と表明感情のマルチコントロール」と「感情の上書き」は可能量が人ぞれぞれにあり使いすぎると疲弊が凄まじい。
二義的に「感情表現のうまい人」とは自身の許容量を知り、範囲内で的確な場面で使用する人だ。